今日から7月

ついに7月になってしまいました。1年の半分は終わってしまったわけですね。こんなとき「もう半分終わってしまった」と思うのか「まだ半分残っている」と思うのかで気分はだいぶ違うと思うのですが、私は前者のタイプで、終わってしまった半分のことを考えて、気持ちが焦るばかりです。

今年は13回忌・7回忌・1周期と法事が重なり、最も早い6月25日に合わせて、先日、法要を済ませました。6月、7月はともかく、10月の法要まで一緒に済ませてしまうのはやや気が引けたのですが、何もかもをすべて一人でやらなければならないため、許してもらうことにしました。亡くなった家族への気持ちはあっても、自分自身が大変な状況の中で、どこまでやるかは難しい問題ですね。

周りを見ても、「3回忌で一区切り」と言う人が増えているようで、「3回忌からは家族だけ」はもちろん、家族葬も多くなっています。家族葬だけでなく、お通夜を省略する一日葬やお葬式もしない直葬など、お見送りの形も多様化しているようです。

昨年、おばあちゃんが「もうそろそろ」となったとき、いろいろ考えたのですが、お坊さんに相談したところ「お通夜をして、親しかった方でお見送りをするのが本来の形」とのことだったので、よくしていただいた近所の方にも来ていただいて、お通夜・お葬式の形でお見送りをしました。生前「私のお葬式の時には」と良く言っており、要望(?)もいろいろ聞いていたので、本人の希望を叶えてあげたかったことも大きいですね。

遺影の写真はもう10年以上前に撮影したものでしたが、本人が希望したもので、長生きすると自分の最期についてもいろいろ考える時間があり、それを伝えてくれたことでこちらもやりやすかったと言う面もあります。「本人の希望だったので」と言うと、みなさん驚かれたり感心しされたりしますが、とてもはっきりと自分の意見を言う人だったので、良かったかなと思います。

亡くなる前の2年間はグループホームに入所していましたが、入所者はほとんど女性で90歳以上の方も多く、最高齢は104歳の女性でしたが会話もしっかりしており、自分の足で歩かれていました。「こんな風に元気で長生きできれば本当にいいな」と思ったものです。おばあちゃんは亡くなったとき95歳でしたが、直前まで本当に元気で「私は幸せ」が口癖でした。常に「ありがとう」の言葉を欠かさない、そんな人だったから幸せでいられたのかなと思ったりします。

あくまで自分の知っている範囲ですが、大正生まれの方は昭和ひとけた生まれの方よりも丈夫で、英語の歌をくちすさんだりとハイカラなところもあり、性格的にも明るい方が多いような気がしています。

現代では「本当の長寿祝いは88歳の米寿から」とも言われ、特に女性は90代の方も珍しくありません。もちろん個人差はありますが、元気で活動的な方も多く、「きちんとした服装」をされている方が多いと感じます。

自分自身、もう「おばさん」と呼ばれる年代ですが、今ひとつ大人になり切れないところがある一方で、同じ年代の人はやはり「おじさん」「おばさん」に見えてしまいます。自分のことは今ひとつ客観視できてない感じですね(^^;

以前、木村君と糸井重里さんたちがコタツでトークする「イトイ式」と言う番組で、呉智英さんが「精神年齢はくぐった修羅場の数で決まる」と言うようなことを発言されて、強く印象に残っています。私は両親にとって初めての子供で、とても甘やかされて育ちました。ふたつ違いの妹が赤ちゃんだったころは、父とふたりでいろんなところに出かけたこともいい思い出です。妹や弟のときはそんなことは無かったように思うので、長女の特権かもしれませんね。その分、精神的には弱く、いつまで経っても大人になり切れない気もしています。

もうすぐ亡くなったおばあちゃんの1周期ですが、6月は亡くなった人のこととその前後のことを思い出して、いまひとつ仕事ははかどりませんでした。7月は気分を切り替えて、お盆まで頑張りたいと思います。

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